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ORC(外洋レース会議)の今昔

イマドキの外洋ヨットによる世界一位決定戦とはどんなもんなのか。
前回の記事に書きました。

これが、 “ORCの” 世界選手権ということである、とも。

ではそのORCとは何か

これが、
ORCC:Offshore Rules Coordinating Committee
ORC:Offshore Rating Council
ORC:Offshore Racing Council
ORC:Offshore Racing Congress
と、同じORCでもその中身が微妙に変遷していて、一言で説明するのが難しそう。
ということで、改めてまとめてみました。

ORCのサイトにその歴史が出ているので、それを読めば良いんですけど。

Home
The Offshore Racing Congress is the world leader in rating technology, serving 45 countries in modern VPP-based handicap systems for a fair and competitive sail...

これがなかなか複雑でありまして。

Beginnings of an International Rule

1968年のメキシコ五輪に外洋レースが加わるのでは、という噂が流れたのが1965年のこと。……ってことは東京五輪の翌年ですね。
あれ、まてよ。3年前だともう種目は決まってそうなもんですが。いや、今回も「2024パリ五輪」の3年前になって、外洋レースが取り消されてるか。

ま、とにかく、1966年。オリンピックを念頭にIYRURORCCCAに国際外洋レースルールを作るように要請。両者もこれに同意し、すぐにORCCに国際技術委員会(ITC)を設置した、とのこと。

いろんな組織の名前が出てきますが。

IYRU(International Yacht Racing Union:国際ヨット競技連盟)は、後のISAF(現 World Sailing)に繋がるヨットレースの国際的な連盟。オリンピックのヨット競技としての外洋ヨット種目をどうこうしようというなら、そうなりますわな。

RORC(Royal Ocean Racing Club)は英国のヨットクラブ、CCA(Cruising Club of America)米国のクラブ、ですね。

では、ORCC(Offshore Rules Coordinating Committee)とは?

話をもっと遡りましょう。

Early Roots

第1次世界大戦(1914-1918)前の1883年。米国でSeawanhaka Ruleというレーティングルールができます。
水線長とセールエリアから計算する単純なものです。

アメリカズカップのルーツとなった1851年のワイト島1周レースは、艇種不問の早い者勝ちでした。優勝した〈アメリカ号〉は参加艇の中では中ぐらいのサイズだったようです。
これじゃあまりにテキトウということで、規格を決めたレベルレースで競われるようになり、1889-1903のアメリカズカップは、このSeawanhaka Ruleの元で競われています。

Seawanhakaはアメリカ先住民の言葉でしょうか。地名としては残っていないようですが、Seawanhaka Corinthian Yacht Clubは1871年に設立された米国の歴史あるヨットクラブで、ニューヨークの郊外ロングアイランドのオイスター・ベイにクラブハウスがあります。
ニューヨークから直線距離で40kmくらい。ニューヨークという世界一の大都会から車でわずか1時間ほどとは思えないくらい緑豊かな別荘地って感じです。
日本で言えば、昔の小網代あたりはちょっとこんな感じだったのかも。東京からの距離感からしても。

で、前の記事で、ヨットレースではアマチュアクラスをなぜか “Corinthian” と呼ぶと書きましたが、この “Corinthian” という表現はSeawanhaka Corinthian Yacht Clubから来てるのか? というか19世紀から使われてきた言葉ということか。

JOC - 日本オリンピック委員会
オリンピックなどの国際総合競技大会や日本代表選手団の情報・豊富な資料や読み物も集めた、日本オリンピック委員会(JOC)公式サイトです。

こちら↑日本オリンピック委員会の公式webページなんですが。コリント地方の「イストミアン・ゲームズ」の名が出てきます。1行めが表示されないトホホな出来のサイトですが。
“Corinthian” という言葉自体はこのコリント地方から来ているそうで、そこからオリンピック的なアマチュアイズムをイメージさせるのか。Corinthianを辞書で引くと、「金持ちのアマチュアスポーツマン」なんてのも出てきます。
うーむ。
“プロになれないアマチュア” ではなく、 “プロになる必要が無い人 =ヨーロッパ貴族のたしなみとしての競技” 、みたいなイメージなのかも。
1977年のアメリカズカップで防衛に成功した〈Courageous〉のテッド・ターナー(Ted Turner)なんかは、まさにコリンシアン・セーラーって感じなんでしょうか。
単なるカテ1のアマチュアヘルムと、オーナーヘルムの違いといったらいいか。

話がそれました。
このSeawanhaka Ruleは米国内のみで使われ、世界的なルールとして発展はできず。
一方、英国では1912年に、Boat Racing Association Ruleができ、1920年代のファストネットレースで使用されていたとのこと。

このあたり、 “水線長とセールエリアから計算する単純なもの” なんて書きましたが、長さ(水線長)と面積(セールエリア)という次元の異なる2つの要素をどう融合させて1つの数値で評価するかってだけでもそうそう簡単なことでもなく、いくつか種類があった、と。

そもそも、初期の五輪でのヨット競技は今のようなワンデザイン艇によるものではなく、IYRUがいくつかのレベルレースクラスを設けていたようです。
そのあたりは、そのうち調べてみたいと思います。今のところあまり興味が無いので。

Post-War divergence

第2次世界大戦(1939-1945)中は、コロナ渦どころの騒ぎじゃなかったでしょうから、戦後のヨットレース復活は世界的にどれだけ盛り上がったか、想像できます。
米国のCCAルールはレーサーにもクルーザーにも適用でき「Onion Patch series」や後には「SORC」にもCCAルールが使われます。

対して英国のRORCルールはよりレース艇向けだったもよう。アドミラルカップではこちら。
後によりクルーザー向けに改良され、英国以外にもヨーロッパやオセアニアで普及します。

と、世界の外洋ヨットルールはヨーロッパと米大陸の2つに分かれてしまい、これに多くの欧州セーラーが不満を持ちます。世界一を決められないもんね。

そこで、1961年。ロンドンで、ドイツ、英国、スウェーデン、米国の4ヶ国が集まりORCC(Offshore Rules Coordinating Committee)が結成されます。
さらにデンマーク、ノルウエイ、フィンランド、オランダ、フランス、イタリア、オーストラリア、カナダ、ベルギーの9ヶ国が加わってORCCは世界規模の委員会となり……。

というところで、話は最初に戻るわけです。
オリンピックの外洋レース採用は叶わなかったものの、元々世界統一ルールを決めようとしてできたORCCですから、その技術委員会(ITC)は1967年4月から協議を続け、1968年11月にロンドンで開催された会議で新たな国際レーティングルールのドラフトが策定されます。これがIOR(International Offshore Rule)。1969年のシーズンから採用されることになります。

Birth of ORC

1969年11月1日。ORCCは最後のミーティングで、Offshore Rating Councilを承認。
ああ、ここんとこ、英語が難しいなぁ。
単に名称変更したのではなく、Offshore Rules Coordinating Committee=外洋ルール協議委員会が、自らをOffshore Rating Council=外洋レーティング評議会へと組織改編した、ということですか。
“外洋ルール” ではなく、国際的な艇のレーティング(評価)ルールを作る会議体ということですね。

ここでルールとコンピュータープログラムを開発。……って1969年の話ですからまだ電子計算機といってた時代ですよね。言語はフォートランで、データはパンチカードやテープで扱っていたとのこと。
計算式自体は電卓があれば計算できちゃいそうなもんだけど。それを記録して2ページの証書を印刷する、と。

IOR時代の計測証書を漁ってみたんですけど。うちにもあったと思うんだけど、出てこない。さらに探してみます。

1968年から1969年にかけて、ORCはレーティング・ルールと平行して安全面を考慮した設備規定である「SR:special regulations」(特別規定)も制定します。スピードだけを突き詰めていくと命がけで乗るようなマシンになってしまうので、外洋を走り続けるために最低限必要な設計と設備を規定したものです。

さらには『CHAMPIONSHIP RULES FOR OFFSHORE CLASSES』という世界選手権を定義したルールも設けます。前回の話に出てくるやつですね。緑色の表紙であることから『グリーンブック』と呼ばれ、レーティングを元にクラス分けし着順勝負をするレベルクラスもここで定義されています。

と、1970年代中頃にはORCはレーティングのみならず、外洋艇によるレベルレースそのものを取り仕切るようになります。
そこで1976年、同じORCでも「Offshore Rating Council」から「Offshore Racing Council」へと名称変更。関わる範囲が “Rating” から “Racing” へと範囲を広げたということ。

1975年まではORCITC(技術委員会)は頻繁にミーティングを繰り返していましたが。1975年以降は年に1回11月にロンドンで会議を開くようになっています。これが今も続くノーベンバーミーティングってやつですね。行ったことないけど。ああ、1度行ってみたかったなぁ。

Birth of IOR

風の力で走るヨットの性能を評価する要素はきわめて複雑ですが、解りやすいのが船体の長さと幅。これが基本になります。
長さといっても全長よりも水線長なんですが。静止状態で水線長や水線幅を測っても、走り出したら大きく変わってきてしまうわけで。

じゃあ、どうするか。
性能に繋がるヨットの長さを評価する手段として、英国は長さの起点を前後のガース・ステーション(girth stations)で定義。
一方米国では、バトック長(buttock length)で定義していたとのこと。

バトック(buttock)とは船体をキールと平行に縦割りしたもので、バトック長(buttock length)とは2次元的な長さといったら良いのか。

Buttocks, Waterlines and Diagonals
This discussion primarily applies to vee bottom boats, although the terminology is similar to those with a round bilge. The terms buttocks (butt), wate...

buttock lineというのは造船用語にあるのですが、buttock lengthは……正直よくわかりません。
が、IORでは英国式のガース・ステーションが採用されたので、buttock lengthの方は横に置いときましょう。

ガース(girth)とは。船体を輪切りにしたときの周長……というか船体部分のグルリの長さです。日本語にしにくいので、 “ガース” で通っているかと。

IORでは、幅(B)の半分、つまりB x 0.5の周長の地点を前端(FGS:forward girth station)。B x 0.75の地点を後端(AGS:after girth station)と定義して、ガース間の距離を測ります。

The International Offshore Rule - Part 1: Measuring Length
Thunderbolt (photo Larry Moran) This is the first in a series of articles designed to provide a brief overview of the workings of the In...

オーナーはなるべく評価(レーティング)が低くなるようにしたいわけで。つまり、実際の水線長よりも短く計測してもらいたいわけです。

この場合、Bの値が大きいほどガース間の距離が短くなりますから、オーナーサイドからすればお得。
でもそうそう単純に得をさせないように、Bの値もガース・ステーションの定義も複雑になっています。詳しくは上のリンク記事から……って、これ読んでも良く分かりませんが。ガース・ステーションという考え方が、良くも悪くもIORの特徴と言ってもいいようです。

こうして国際的なレーティングルールであるIORが誕生し、「Admiral’s Cup」、「Southern Cross cup」、「Onion Patch series」といった世界のグランプリレースは盛り上がり、70年代中頃からレース艇建造が過熱していくにつれ、ルールの裏をかく設計と、その穴を埋めるルール改正。さらにその裏をついた新艇建造というイタチゴッコが続きます。

Advent of IMS

1985年。IORへの不満を解消すべく、ORCはMeasurement Handicap Systemを米国で使いはじめます。これが後のIMS(International Measurement System)。レーティングではなく、ハンディキャップ・システムと記しているところが興味深いですが。

手元に1995年版の『グリーンブック』があるんですが、

1995年版というところがミソで。
なぜなら、
この年の6月に日本で最後の「ワントン全日本選手権」が開催されています。

NORCの会報『Offshore 1995年6月号』に記事が出ていますが、自分も出てたんで、良く覚えています。
そして翌1996年には、ギリシャでIMSの新しいレベルクラスであるILC40クラスのワールドにも行ってます。

つまり、
この年の『グリーンブック』には、IORのレベルクラスであるワントンと、IMSの新たなレベルクラスであるILC40と、両方のチャンピオンシップについての記載があるところがミソ。
IORからIMSに変わる節目の年ということです。

Brief merger option with ISAF, renaming of ORC

1997年。ORCはISAF(現 World Sailing)と合併(merger)し、ISAF本部のあるサザンプトン(英)にオフィスを移します。が、それもつかの間。2001年にはISAFと袂を分かち独立。名称もOffshore Racing Council から、Offshore Racing Congressと変更します。

Congressは日本語にすれば、会議、学会というイメージか。
「外洋レース学会」。いややっぱ「外洋レース会議」ですね。
どこかにオフィスを構えているというわけではないようで、広く世界中の委員が集まる会議体という感じのようです。webサイトを見ても、オフィスの住所が見つからないんですよね。必要無いのか。

さて、この1997年から2001年の間に何があったのか。
『特別規定(ORC Special Regulations)』は『外洋特別規定(Offshore Special Regulations)』としてISAFの管理に残すことになり。と、このあたりの経緯──なぜうまくいかなかったのか──はORCサイドから出しているこの記事を読む限りはよくわかりません。
が、時代背景を遡ると……。

1994年にフランスでIOR最後のワントンカップが開催され。
1995年にデンマークで第1回のILCワールドが開催され。
と、ORCのチャンピオンシップはIORからIMSへとシフトします。
が、そのIMSもうまくいかなかった。

IMSの何がダメだったのかは話が長くなるので、前に書いた別のブログを。

レーティングシステムを考える 第3話 | Nippon Offshore Racing Council
今回は、“グランプリの世界”に目を向けて見ることにする。科学の粋を集めたIMSは、はたしてグランプリルールたり得るのか。そもそも、ハンディキャップ制でグラ...

一方、英国のRORCとフランスのUNCLが開発管理するレーティングシステムIRCは、2003年にISAFから国際レーティングとして認められています。

IORの後を担うレーティングシステムとして、
IMSはコンピュータをフルに用いた科学のカタマリであるのに対し、
IRCは経験則を加味したブラックボックスという、
正反対のシステムといえます。

RORC(Royal Ocean Racing Club)は1925年に創設された英国のヨットクラブですが、IORを造るときにIYRUが最初に声をかけたのがRORCなわけで。単なるヨットクラブというよりも、外洋ヨットレースを統括する組織ともいえるわけで。
日本のNORC(日本外洋帆走協会)も設立当初はこのRORCを手本としていたわけで。

Royal Ocean Racing Club
RORC Members are part of unique, famous club, dedicated to encouraging all forms of yacht racing to all sailors.

ORCがISAFから出て行ったのが2002年で、IRCがISAFに承認されたのが2003年。

「2010年。ISAFはRORCにORCとIRCを一つのレーティングにすべく議論を始めており、今もそれは続いている」とこの記事にはあり、実際、ORCの世界選手権をORC iとIRCで行う取り組みはされていたようですが……。High Performance Rule (HPR) への記載もありますが……。

と、この辺りの話は、また続く。

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